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湯船につかると睡眠の質が上がる?最近「よく眠れた」と感じる23歳の習慣

最近、自分の中でちょっとした発見があった。

湯船につかってから寝た日のほうが、なんとなくよく眠れている気がする。

最初は気のせいだと思っていた。

「今日はたまたまよく眠れただけかな」

くらいに思っていたのだけど、何度か繰り返しているうちに、

「あれ?もしかしてお風呂のおかげ?」

と思うようになった。

最近、十分に寝ても眠いことが多かった

ここ最近、ちゃんと寝ているはずなのに眠いことがあった。

8時間くらい寝ても、朝からすっきりしない。

起きても頭がぼーっとする。

休日なんて、気づいたらまた寝ていることもある。

「私ってこんなに寝るタイプだったっけ?」

と思うくらい眠い日もある。

だから、どうしたらもう少し気持ちよく眠れるのかな、と考えていた。

そこで最近意識するようになったのが、湯船につかることだった。

シャワーだけの日と、湯船につかった日の違い

もちろん毎日きっちり比較しているわけではない。

だから科学的に、

「湯船につかったから睡眠の質が上がった!」

とまでは言えない。

でも、自分の感覚としては違う。

シャワーだけで済ませた日は、

「お風呂入ったし、寝よ」

という感じ。

一方で湯船につかった日は、体がぽかぽかして、布団に入ったときにスッと眠りやすい感じがする。

そして翌朝、

「あ、今日ちょっとスッキリした感じがする」

となる。

この感覚が結構好きだ。

「寝る時間を増やす」だけじゃなかった

今までは、眠いならもっと寝ればいいと思っていた。

でも、最近は少し違うのかもしれないと思っている。

もちろん睡眠時間は大事。

だけど、

「何時間寝るか」だけじゃなくて、「どうやって眠るか」もあるのかもしれない。

寝る直前までスマホを見ている日。

なんとなく疲れたまま布団に入る日。

湯船につかって、体が温まってから布団に入る日。

全部同じ「8時間睡眠」でも、自分の感覚が違うことがある。

湯船に入る時間が、ちょっとした切り替えになっているのかも

最近思うのは、湯船って単純に体を温めるだけじゃないのかもしれない、ということ。

湯船につかっている間って、何かをしなくてもいい。

スマホを触らなくてもいい。

資格のことを考えなくてもいい。

明日のことを考えなくてもいい。

ただ、

「あったかいな~」

と思いながら浸かっている。

それだけ。

普段はいろいろ考えてしまう私にとって、この何もしない時間が意外と大事なのかもしれない。

最近は「ちゃんと休む」を意識している

休日に何もできないと、

「今日は無駄に過ごしちゃったな」

と思ってしまうことがある。

でも最近は、少しだけ考え方が変わってきた。

何かを頑張ることだけが休みの過ごし方じゃない。

ゆっくりお風呂に入る。

ちゃんとご飯を食べる。

眠くなったら寝る。

ぼーっとする。

そういう時間も、次の日の自分のためには必要なのかもしれない。

特に最近は、寝ても眠い日があったからこそ、

「もっと頑張らなきゃ」じゃなくて、「ちゃんと休めてるかな?」

と考えるようになった。

しばらく湯船生活を続けてみようと思う

今のところ、

「湯船に入ったら絶対に睡眠の質が上がります!」

とは言えない。

あくまで私自身が、

「湯船につかった日のほうが、よく眠れた気がする」

というだけ。

でも、自分の生活の中で「これをするとちょっと調子がいいかも」と思えるものを見つけられたのは、なんとなく嬉しい。

しばらく続けてみて、本当に違うのか確かめてみようと思う。

何か特別なことを始めなくても、

お風呂にゆっくり入る。

それだけなら、今日からでもできる。

最近の私は、睡眠を改善するために何かすごいことをするより、

「ちゃんと温まって、ちゃんと眠る」

くらいから始めてみようと思っている。

そして今日も、湯船につかってから寝よう。

明日の朝、

「今日めっちゃ寝たな」

と思えたらいいな。

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何もしてないのに疲れるのはなぜ?人の目を気にしすぎる私が気づいたこと

最近、なんだかずっと疲れている。

仕事が特別忙しいわけでもない。

大きなミスをしたわけでもないし、誰かと喧嘩したわけでもない。

「今日めちゃくちゃ大変だった……」

という日でもないのに、家に帰ると妙にぐったりする。

お風呂に入って、ご飯を食べて、スマホを見ていたら、もう眠い。

最初は「最近体力ないな」くらいに思っていた。

でも、よく考えてみた。

もしかして私、人と関わっているだけでめちゃくちゃ疲れているのでは?

人といるだけで疲れる。しかも、誰も悪くない

私は、かなり人の目を気にする。

いわゆるコミュ障というやつだと思う。

ただ、「人と話したくない」とか「人間が嫌い」というわけではない。

むしろ、相手が嫌な態度を取ってくるわけでもない。

普通に優しい人でも、勝手に疲れてしまう。

なぜかというと、私の頭の中で勝手にいろんなことが始まるからだ。

「今の返事、変じゃなかったかな」

「感じ悪く見えなかったかな」

「今、変な顔してなかったかな」

「相手、私のことどう思ってるんだろう」

……とにかく考える。

相手は何も考えていないかもしれない。

それなのに、私は一人で勝手に反省会を開催している。

今日なんて「前髪」だけで疲れた

今日も、まさにそんなことがあった。

湿気がすごかった。

私はくせ毛なので、湿気にはめっぽう弱い。

朝はそれなりに整えたつもりだったのに、時間が経つと前髪が変な方向に曲がってきた。

鏡を見て、

「うわ、今日の前髪終わった……」

と思った。

ここまではいい。

問題はここから。

人と話していると、

「この人、私の前髪変だと思ってるかな」

と気になってくる。

さらに、

「もし後で他の人に『今日あの人、前髪変だったよね』とか言われたらどうしよう」

とまで考える。

いやいや。

たぶん、そんな話しない。

冷静に考えれば分かる。

人の前髪について、わざわざ後から話題にするほど興味を持っている人なんて、そうそういない。

それなのに私は、顔を見られるのが嫌になってくる。

なるべく目を合わせないようにする。

変に視線をそらす。

そして今度は、

「やばい、私いま挙動不審じゃなかった?」

「感じ悪いって思われたかも」

と心配になる。

……。

前髪ひとつで、どこまで話が広がるんだ。

自分でもちょっと笑ってしまう。

「気にしすぎ」は、頭の中だけで話が進んでいる

こういうことって、たぶん私だけじゃないと思う。

「相手にどう思われたか」が気になりすぎて、頭の中で勝手にストーリーを作ってしまう。

でも、そのストーリーには重要なことが抜けている。

相手の本当の気持ちは、私には分からない。

「前髪変だと思われた」

「嫌な感じだと思われた」

「変な人だと思われた」

全部、私の想像だ。

事実ではない。

ここに気づいてから、少しだけ考え方を変えられるようになった。

思ったより、人は自分のことを見ていない

人の目が気になるとき、私はこう考えるようにしている。

「思ったより、人は私のことを気にしていない」

これだけ聞くと、ちょっと寂しい言葉に聞こえるかもしれない。

でも、私はむしろ安心する。

だって、自分だってそうだから。

誰かの髪型が少し変だったとしても、

「あ、今日ちょっと違うな」

くらいで、その人のことを一日中考えたりはしない。

仕事をしていれば仕事のことを考えるし、帰れば自分の予定やご飯のことを考える。

みんな自分のことで結構忙しい。

だから、

「私の前髪について、今も気にしている人がいるかもしれない」

と考えるより、

「たぶんみんな、自分のことで精一杯だ」

くらいに思っておいた方が、現実に近い気がする。

「相手も同じ人間」と考える

もう一つ、最近意識していることがある。

それは、

「相手も同じ人間なんだ」

と考えること。

自分だけが緊張しているように感じるけど、相手だって人間だ。

相手にも、

「今日の髪型大丈夫かな」

とか、

「さっき変なこと言わなかったかな」

とか、

「嫌われたらどうしよう」

みたいな瞬間があるかもしれない。

そう考えると、相手が急に「怖い評価者」ではなくなる。

ただの一人の人間になる。

それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。

好かれたいなら「自分」ではなく「相手」を見る

そして最近、もう一つ気づいたことがある。

私は人から好かれたい。

できれば「感じのいい人だな」と思ってもらいたい。

でも、

「どうしたら好かれるんだろう」

と考えれば考えるほど、自分のことで頭がいっぱいになる。

「変なこと言わないようにしよう」

「嫌われないようにしよう」

「ちゃんと話さなきゃ」

そうすると、相手の話が入ってこなくなる。

そこで最近は、少し方向を変えるようにしている。

「この人はどんな人なんだろう?」

と考える。

何が好きなんだろう。

どんなことを考えているんだろう。

この人はどういう話をすると楽しそうなんだろう。

「自分がどう見られているか」ではなく、「相手はどんな人なのか」に意識を向ける。

すると、不思議と自分のことを考える時間が減る。

そして、そっちの方が自然に会話できる。

疲れているのには、理由があった

最近、

「なんでこんなに疲れてるんだろう」

と思っていた。

でも、もしかしたら私は何もしていなかったわけじゃない。

人と会うたびに、

「今の大丈夫かな」

「変に思われてないかな」

「嫌な感じじゃなかったかな」

と、頭の中で小さな処理を何度もしていた。

それなら疲れて当然だ。

仕事そのものより、仕事中ずっと自分を監視していることの方が疲れる日だってある。

だから、これからは少しずつやめていきたい。

もちろん、明日から急に気にしなくなるわけではない。

たぶん明日も、

「今の言い方大丈夫だったかな」

って思う。

湿気がすごかったら、

「今日の前髪終わった」

とも思う。

でも、そのあとに一つだけ付け足してみる。

「……まあ、誰もそこまで私のこと見てないか。」

それでいい。

完璧にコミュ障を克服する必要はない。

人の目を一切気にしない人になる必要もない。

ただ、自分の頭の中で勝手に作った「相手の気持ち」を、事実だと思い込まないこと。

そして、自分がどう見られているかばかり気にするのではなく、少しだけ相手に興味を向けること。

それだけでも、毎日の疲れ方は少し変わるのかもしれない。

今日も私は、変な前髪を気にしながら一日を終えた。

でもたぶん、

私の前髪より、みんな自分の前髪の方が気になっている。

そういうことにして、今日は寝ようと思う。

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8時間寝たのに会議中に寝てしまう。23歳の私が本気で困った話

最近、ちょっと困っていることがある。

会議中に寝てしまう。

しかも、「昨日夜更かししちゃったから眠い」という話ではない。

ちゃんと寝た日でも眠い。

「今日は8時間くらい寝たし、さすがに大丈夫でしょ」

そう思って出勤した日でも、会議が始まるとだんだん眠くなってくる。

そして気づいたら、

「あれ、今寝てた?」

となる。

これが最近、何度かある。

「眠い」と「寝てしまう」は違う

もちろん、眠いこと自体は珍しくない。

仕事中に、

「ちょっと眠いな」

と思うことくらい誰にでもあると思う。

私も以前は、眠くなったら姿勢を正したり、コーヒーを飲んだりして何とか耐えていた。

でも最近は、それだけではない。

人が話している。

「ちゃんと聞かなきゃ」と思っている。

なのに、途中から話が頭に入ってこなくなる。

そして数秒後、

「……あれ?今の話、聞いてた?」

となる。

自分では普通に起きているつもりなのに、意識だけが一瞬どこかに行っているような感じ。

しかも、あとから考えると、

「あ、今ちょっと寝てたな」

と自分でも分かる。

これが地味に困る。

姿勢はそのままなのに、意識だけが落ちる

私の場合、机に突っ伏して寝るわけではない。

「寝てました!」と一目で分かるような寝方でもない。

姿勢はある程度そのまま。

ただ、頭の中だけがスッと途切れる。

だから余計に、

「私、今どうなってるの?」

と思う。

イメージとしては、

人間の姿はちゃんと会議に参加しているのに、

脳みそだけ勝手にログアウトしている。

しかも本人に相談なく。

いや、ログアウトするならせめて休憩時間にしてほしい。

学生の頃から、私は寝やすい方だった

思い返してみると、昔から私は比較的「寝やすい人」だった。

授業中に眠くなることもあったし、

「ちゃんと聞かなきゃ」

と思っているのに、気づいたら意識が飛んでいることもあった。

だから、

「私は眠くなりやすい体質なんだろうな」

くらいに思っていた。

でも、学生の頃と社会人では事情が違う。

授業なら、寝てしまっても基本的には自分の問題。

もちろん良くないけれど、あとでノートを見返したり、友達に聞いたりすることはできる。

でも仕事の会議では、

「今なんの話だった?」

では済まないこともある。

聞かなきゃいけない話を聞き逃したら困る。

覚えておかなきゃいけないことを聞き逃したら、もっと困る。

そう考えると、

「まあ、私は寝やすいから」

では片付けられなくなってきた。

8時間寝ても眠い

そこで一度、

「そもそも睡眠時間が足りないんじゃない?」

と思った。

でも、8時間くらい寝ている日でも眠いことがある。

「今日はちゃんと寝た!」

と思っているのに、昼間になると眠い。

一度、夕方にかなり眠くなって、15時から18時くらいまで寝てしまったこともある。

それだけ寝たら夜眠れなくなりそうなのに、夜も普通に眠れる。

そこで私は、

「……私、寝るの好きすぎない?」

と思った。

もしかしてロングスリーパーなのかな、と考えたこともある。

でも、ロングスリーパーなら何時間寝ればいいのかもよく分からない。

8時間でも眠い。

じゃあ9時間?

10時間?

それだけ寝れば会議中に寝なくなるの?

そもそも、睡眠時間だけの問題なの?

考えれば考えるほど分からなくなる。

「睡眠の質」が悪いのかもしれない

最近は、睡眠時間だけではなく、睡眠の質も気になっている。

というのも、最近よく夢を見る。

夜に寝ているのに、夢と現実の境目にいるような感覚になることもある。

「ちゃんと寝たはずなのに、なんとなく疲れが残っている」

と感じる日もある。

だから、

「寝ている時間は足りていても、ちゃんと休めていないのかな?」

と思うようになった。

それに、私はコーヒーも飲む。

眠くならないように、夕方くらいまで飲んでいることもある。

でも、

「眠いからコーヒーを飲む」

↓

「コーヒーが睡眠に影響する」

↓

「睡眠の質が落ちて、また昼間眠くなる」

なんてことになっていたら、完全に悪循環だ。

最近は、コーヒーを飲む時間も少し気にするようになった。

仕事中にも起きたときは、さすがに気になった

学生の頃なら、

「また寝ちゃった」

で済ませていた。

でも、仕事中にも同じようなことが起きると、

「これ、本当にただ眠いだけなのかな」

と思うようになる。

もちろん、歩いているときに意識が飛んだり、突然倒れたりするわけではない。

座って話を聞いているときに、意識がぼんやりして、気づくと少し寝ていた。

そんな感じ。

だから今のところ、自分では大きな問題だとは決めつけていない。

でも、何度も続くなら、

「ただの寝不足」

で終わらせない方がいいのかもしれない。

まずは、自分の生活を見直してみる

いきなり「何か病気なのかも」と考え始めると、余計に不安になる。

だからまずは、自分でできることから見直してみようと思っている。

睡眠時間はちゃんと確保できているか。

寝る時間が日によって大きく変わっていないか。

コーヒーを飲む時間が遅すぎないか。

寝る前にスマホを見すぎていないか。

朝、ちゃんと光を浴びているか。

そして、昼間の眠気がどのくらいあるのか。

こういうことを少しずつ確認してみる。

それでも「十分寝ているのに、仕事中に何度も寝てしまう」という状態が続くなら、一度専門家に相談することも考えたい。

23歳、思っていたより自分の体は言うことを聞かない

23歳になったら、もっと自分のことをちゃんと管理できると思っていた。

仕事もして、

生活リズムも整えて、

ちゃんと寝て、

朝はスッキリ起きて、

会議では真面目な顔で話を聞いている。

そんな社会人を想像していた。

現実は、

「今日は8時間寝た!これなら大丈夫!」

と思って会議に参加した数十分後、

「…………」

となっている。

そして、

「あ、今寝てた。」

と気づく。

どうやら私は、まだまだ自分の体を完全にはコントロールできないらしい。

でも、だからといって、

「私は眠い体質だから仕方ない」

で終わらせるのも違う気がする。

眠くなる原因が何なのか、自分の生活に何か改善できるところがあるのか。

まずはそこから探してみたい。

とりあえず明日の目標は、

会議中に脳みそをログアウトさせないこと。

できれば、最後までログインしたままでいたい。

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錠剤が怖くて飲めない…そんな私が、普通に錠剤を飲めるようになった話

突然だけど、私はたまに錠剤が怖くなる。

「薬が嫌い」というわけではない。

粉薬は普通に飲めるし、シロップも平気。

でも、錠剤だけはちょっと違う。

一度うまく飲み込めなかったり、喉につっかかったような感じがしたりすると、

「またつっかかったらどうしよう……」

と、急に怖くなる。

しかも、それが一日だけで終わるとは限らない。

数日くらい、場合によってはもう少しの間、

「錠剤飲むの怖いな……」

という状態になる。

でも、ずっとそのままではない。

時間が経って、そのときの怖さを忘れてくると、また普通に飲めるようになる。

今ではサプリも普通に飲めるし、薬も基本的には大丈夫。

だから今回は、そんな私がどうやって錠剤を飲めるようになったのかを書いてみようと思う。

私は「薬」が怖いわけじゃない

まず、ここはちょっとややこしい。

私は薬そのものが苦手なわけではない。

粉薬なら平気。

シロップも平気。

だから、

「薬の味が嫌なんだね」

という話でもない。

私が怖いのは、錠剤を飲み込むこと。

特に、

「喉につっかかったらどうしよう」

というのが怖い。

まだ飲んでもいないのに、

「これ、ちゃんと通るかな」

って考えてしまう。

普通なら何も考えずに「ごくん」で終わるところを、私は急に「ごくん」を意識し始める。

「ちゃんと飲み込まなきゃ」

「今、喉どうなってる?」

なんて考えていると、なんだか余計に緊張してくる。

そして、

「やっぱり怖い……」

となる。

一度つっかかると、しばらく怖い

私の場合、ずっと錠剤が飲めないわけじゃない。

ここが自分でもちょっと不思議なところ。

普通に飲める時期もある。

サプリだって飲める。

「錠剤なんて別に平気じゃん」と思っていることもある。

でも、ある日うまく飲み込めない。

ちょっと喉につっかかったような感じがする。

すると、その経験が頭に残る。

次の日にまた錠剤を飲もうとすると、

「昨日ちょっとつっかかったよな……」

と思う。

そして怖くなる。

その状態になると、薬を口に入れる前から緊張してしまう。

「またあの感じになったら嫌だ」

と思ってしまうから。

そうすると、普段は何も考えずにやっている「飲み込む」ということを、ものすごく意識してしまう。

これが私の中で、錠剤恐怖が始まるパターンだ。

でも、しばらくすると普通に戻る

じゃあ、一度怖くなったらずっと錠剤が飲めないのかというと、そうでもない。

時間が経つと、だんだん気にならなくなってくる。

最初は、

「またつっかかったらどうしよう」

と思っていたのに、何日かすると、そのときのことをあまり考えなくなる。

そのうち、

「あれ?普通に飲めるじゃん」

となる。

たぶん私は、怖かったことを忘れると飲めるようになるんだと思う。

だから、

「錠剤がずっと怖い人」

というより、

「一度うまく飲めないと、しばらく錠剤が怖くなる人」

という方が近い。

これ、意外と困る

「錠剤が怖いだけなら、粉薬を飲めばいいじゃん」

と思う人もいるかもしれない。

私も最初はそう思っていた。

でも、実際に錠剤が飲めないと、意外と困ることがある。

そもそも、薬が全部粉薬やシロップで用意されているわけじゃない。

自分が必要としている薬が錠剤しかないことだってある。

「この薬が必要なのに、錠剤だから怖い」

となったら困る。

薬って、元気なときに飲むものばかりじゃない。

体調が悪いときや、何か困っているときに必要になる。

そんなときに、

「飲まなきゃいけない。でも怖い」

となるのは、結構つらい。

しかも、サプリも錠剤のものが多い。

「これ飲んでみたいな」と思っても、

「でも錠剤か……」

となる。

錠剤が飲めないだけで、選べるものが減ってしまう。

だから私は、できれば普通に錠剤を飲めるようになりたかった。

私が錠剤を飲めるようになったきっかけ

そんな私が、

「もしかしたら、これがきっかけだったのかも」

と思っている出来事がある。

あるとき、乗り物酔いをしそうになって、酔い止めを飲むことになった。

そこで渡されたのが、私にとっては結構大きめのカプセル。

見た瞬間、

「これ、飲めるかな……」

と思った。

でも、そのときは酔ってしまう方が嫌だった。

だから、

「怖いけど、飲むしかない」

という感じだった。

そして、少しかんでしまったけれど、なんとか飲めた。

「あ、飲めた」

と思った。

これが、私にとっては結構大きかった。

もちろん、これだけが理由だったとは言えない。

それまでに怖くなってから時間が経っていて、単純に恐怖心が薄れていた可能性もある。

でも、

「ちょっと大きいものでも飲めた」

という経験ができた。

それで少し、

「なんだ、飲めるじゃん」

と思えるようになった。

「一回飲めた」が、思ったより大きい

錠剤が怖いときって、

「飲めないかもしれない」

ということばかり考えてしまう。

でも、実際に飲めると、

「あれ?飲めた」

になる。

それだけのことなんだけど、これが意外と大きい。

次に飲むとき、

「前も飲めたし」

と思えるから。

そしてまた飲める。

そうやって、「飲めた」という経験が増えていくと、少しずつ怖さも弱くなっていった。

今ではサプリも普通に飲める。

昔だったら「こんな大きいの無理かも」と思っていたようなものでも、だいぶ平気になった。

それでも、大きい錠剤は今でもちょっと怖い

ここまで書いておいてなんだけど、完全に克服したわけではない。

今でも、ちょっと大きめの錠剤を見ると、

「これはちょっと怖いな」

と思うことがある。

特に、カプセルではない、少し重そうな錠剤。

そういうものは今でも身構える。

そして、もしまた喉につっかかったような経験をしたら、しばらく錠剤が怖くなるかもしれない。

でも、今は昔と違って、

「一度怖くなっても、また普通に飲めるようになることがある」

と知っている。

これが結構大きい。

私が怖いときにしていること

少し怖いなと思ったときは、私はいくつか自分なりに工夫している。

まずは、飲む前に深呼吸する。

怖いまま、

「早く飲まなきゃ」

と焦ると、余計に緊張する気がするから。

一回落ち着いてから飲む。

あとは、薬の種類によって飲み方を少し変える。

私の場合、カプセルと錠剤では飲み込むときの感覚が違う。

カプセルは水に浮きやすいので、私は上を向きすぎないようにしている。

逆に錠剤は、自分が飲み込みやすい姿勢を探す。

それから、私は「喉を開いて飲む」ような感覚も意識している。

これは本当に説明が難しい。

喉をギュッと縮める感じではなく、できるだけ自然に飲み込むような感じ。

舌の位置を少し意識することもある。

ただ、これはあくまで私の場合の工夫。

薬の種類によっても違うし、人によって飲みやすい方法も違う。

だから、

「この方法なら絶対に飲める!」

というものではない。

薬を砕いたり、カプセルを開けたりするのも、薬によってはやってはいけない場合があるので、そこは自己判断しないほうがいい。

錠剤が怖い人にとって、「飲める」は結構大きい

錠剤を普通に飲める人からしたら、

「そんなに気にすること?」

と思うかもしれない。

でも、怖い側からすると、一粒飲むだけでも結構なことだったりする。

「またつっかかったらどうしよう」

と思っていると、薬を飲むこと自体がちょっとしたイベントになる。

しかも、本当に必要な薬が錠剤だったら、

「怖いから飲みたくない」

では済まない。

だから、錠剤を普通に飲めるようになったことで、私はかなり楽になった。

薬を選ぶときも、サプリを選ぶときも、

「錠剤じゃないものを探さなきゃ」

と考えなくてよくなったから。

「また怖くなっても大丈夫」と思えるようになった

私の場合、錠剤への恐怖は完全になくなったわけではない。

一度うまく飲めないと、また怖くなるかもしれない。

でも、今は、

「また怖くなったらどうしよう」

だけじゃなく、

「でも、前はまた飲めるようになったよね」

とも思える。

怖くなったら、時間が経つのを待つ。

少しずつそのときのことを忘れる。

そして、また飲めるようになる。

私にとっては、そういう繰り返しだった。

だから今、錠剤が怖くて飲めない人がいたら、

「なんでこんなこともできないんだろう」

って、自分を責めなくてもいいと思う。

私も、錠剤を前にして「怖い」と思っていた。

しかも、ずっと怖いわけじゃないのに、何かのきっかけで突然また怖くなることもあった。

それでも今は、普通にサプリを飲めるようになった。

大きめの錠剤はまだちょっと怖いけど、それでも昔よりはずっと平気。

「今は飲めない」=「これからもずっと飲めない」ではない。

私の場合は、そうだった。

ただ、薬や食べ物が頻繁に喉につかえる、飲み込みにくさが続いている、といった場合は、無理に飲み込まずに医師や薬剤師に相談してほしい。

薬が必要なのに錠剤が怖くて飲めない、ということも、ちゃんと相談していいことだと思う。

私も昔は、「こんなことで困ってるのって私だけかな」と思っていた。

でも、もし同じように錠剤が怖い人がいたら、

「私もそうだったよ」

と伝えたい。

そして、今の私みたいに、

「昔は怖かったけど、今は普通に飲める」

というところまでいける人もいるということもお忘れなく。

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23歳、人生の選択肢が多すぎて逆に何も選べない。

23歳になってから、「人生ってこんなに選択肢が多いんだ」と思うようになった。

高校生の頃は、進学するか就職するかくらいしか考えていなかった。

大学に入ってからも、とりあえず卒業して就職する。

そして社会人になった今。

急に、人生の分岐点が増えた。

今の仕事を続けるのか。

転職するのか。

資格を取るのか。

別の分野を勉強するのか。

今の仕事で専門性を身につけるのか。

全然違う仕事に挑戦するのか。

結婚するのか。

子どもを持つのか。

お金はどうするのか。

考え始めたら、本当にキリがない。

しかも厄介なのが、どれもそれなりに魅力的に見えること。

「やりたいこと」が一つなら、もっと楽だった

最近、自分の将来についてよく考える。

「これが絶対にやりたい!」

というものが一つだけあれば、もう少し楽だったのかもしれない。

でも、私の場合はそうじゃない。

仕事でも、今まで知らなかった分野を知ると面白いと思うし、専門的な知識を身につけることにも興味がある。

資格の勉強をしてみたいと思うこともある。

今とは違う仕事を経験してみたいと思うこともある。

「せっかくなら、一度くらい全然違う世界を見てみたい」とも思う。

つまり、やりたいことがないのではなく、やってみたいことが複数ある。

これは一見、幸せな悩みに見える。

でも実際は、結構困る。

時間は有限だからだ。

Aを選んだら、Bに使える時間が減る。

Bを選んだら、Cを諦めることになるかもしれない。

「全部やればいいじゃん」と言われても、20代の数年間で全部を経験するのは難しい。

そこで私は、考えれば考えるほど動けなくなる。

資格を調べるだけでも迷子になる

将来が不安になったとき、私は資格を調べることがある。

「何か資格があれば、将来の選択肢が増えるかもしれない。」

最初はそんな単純な気持ちだった。

ところが、調べていくと、

「この資格もいいな」

「こっちの資格の方が仕事には使いやすそう」

「でも難易度が高い」

「勉強時間を考えると、今から取る意味はある?」

「そもそも私は、この資格を取って何をしたいんだ?」

となってくる。

資格を一つ調べたはずなのに、いつの間にか別の資格を調べている。

そして最終的に、

資格を取るための勉強より、資格を選ぶための時間の方が長くなっている。

これは私だけなのだろうか。

「向いている仕事」も分からない

仕事についても同じだ。

就職する前は、「自分に向いている仕事」を見つければいいと思っていた。

でも、実際に働いてみると、そんなに簡単じゃない。

自分が好きなことと、向いていることは違う。

興味があることと、仕事として続けられることも違う。

そして、向いている仕事でも、職場環境や人間関係によって「もう嫌だ」と思うこともある。

逆に、最初は興味がなかった仕事でも、やってみたら面白いこともある。

だから最近は、

「私は何の仕事がしたいんだろう」

だけではなく、

「私はどういう働き方なら長く続けられるんだろう」

と考えるようになった。

これは実際に社会人にならないと、なかなか分からなかったことだと思う。

さらに「人生設計」が入ってくる

そして23歳になると、仕事だけ考えていればいいわけでもなくなる。

結婚や子どものことも、少しずつ現実的な話になってくる。

「いつか結婚したい」と思っているなら、仕事だけを基準に人生を決めるわけにはいかない。

やりたい仕事があっても、それに何年も時間が必要なら、その間の生活はどうするのか。

勉強のために仕事を辞めるなら、お金はどうするのか。

将来子どもが欲しいなら、どんな働き方が現実的なのか。

若いうちは何でも挑戦すればいい、と言われる。

それも間違っていないと思う。

でも、挑戦するにも生活がある。

時間も、お金も、体力も必要だ。

「やりたいからやる」だけでは決められないことが、少しずつ増えてきた。

だから「安定」と「挑戦」の間で迷う

たぶん私が一番悩んでいるのは、ここなのだと思う。

安定した道を選べば、安心できる。

でも、それだけで納得できるのかは分からない。

逆に、やりたいことに挑戦すれば、後悔は少ないかもしれない。

でも、うまくいかなかったときのことを考えると怖い。

しかも、どちらを選んでも、

「もう片方を選んでいたらどうなっていたんだろう」

という気持ちは残ると思う。

だから「正解を選びたい」と思ってしまう。

でも、人生にはたぶん、最初から正解として用意されている選択肢なんてない。

23歳で「一生」を決める必要はない

最近、少し考え方を変えようと思っている。

「一生何をするか」を今決めようとするから苦しくなる。

今決めるのは、

「次の数年間、何を試してみるか」

くらいでいいのではないかと思う。

今の仕事を続けながら資格を勉強してみる。

興味のある分野について調べてみる。

実際にその仕事をしている人の話を聞いてみる。

やってみて、「思っていたのと違う」と分かったら、それも収穫。

逆に「やっぱりこれが好きだ」と思えたら、そのときに次の一歩を考えればいい。

そうやって少しずつ判断材料を増やしていく。

その方が、「人生の正解を今すぐ決めなきゃ」と考えるより、ずっと現実的なのかもしれない。

選択肢が多いことは、悪いことではない

23歳になって、人生の選択肢が多すぎることに疲れることがある。

昔なら「将来どうする?」と聞かれても、そこまで深く考えなかった。

今は、答えようとするといくらでも考えられてしまう。

仕事。
資格。
お金。
結婚。
子ども。
住む場所。
働き方。

考えれば考えるほど、「本当にこれでいいの?」となる。

でも、逆に考えれば、それだけ選べるものが増えたということでもある。

23歳の今なら、まだ方向転換できる。

やってみて違ったら戻ることもできる。

一度選んだからといって、一生その道から出られなくなるわけでもない。

だから私は、全部を決めるのではなく、今の自分が納得できる選択を一つずつしていこうと思う。

将来のことを考えるのは大切。

でも、未来の自分のために今の自分を犠牲にしすぎるのも違う気がする。

23歳の私は、まだ人生について何も分かっていない。

でも、分からないからこそ、いろいろ試せる年齢でもある。

たぶん今必要なのは、

「人生を決めること」ではなく、

「自分がどんな人生なら納得できるのかを、少しずつ知っていくこと」

なのだと思う。

まだ、答えは出ていない。

というか、今すぐ出さなくてもいい。

23歳の人生なんて、まだ選択肢を減らすには早すぎる。

ただし、選択肢を眺めているだけでは何も分からない。

だからこれからは、悩むだけじゃなくて、気になったものを一つずつ試してみようと思う。

やってみて違ったら、それも一つの答え。

そうやって、自分の人生の下書きを少しずつ書き足していけばいい。

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「あとでやろう」を100回繰り返した結果、人生がこうなった。

「あとでやろう」

私はこの言葉を、たぶん人生で何千回も使っている。

そして今日も使った。

部屋の片付けをしようと思った。

引っ越してから、もう4か月が経っている。

なのに、部屋にはまだ段ボールが3つある。

3つ。

引っ越してきた直後なら分かる。

1週間後でも、まあ分かる。

1か月後なら、ちょっと怪しい。

でも4か月。

もう段ボールのほうが、「ここが私の家です」みたいな顔をしている。

中に何が入っているのかは、だいたい分かっている。

ただ、片付けるのが面倒なのだ。

本気で片付けようと思ったら、たぶん丸一日かかる。

だから、

「今日は疲れてるし、休みの日にやろう」

となる。

そして休みの日になる。

「今日は予定あるし、また今度でいいか」

となる。

そして、また数週間が経つ。

段ボールは何も悪いことをしていない。

ただ、そこにいる。

私が「あとでやる」と言い続けた結果、そこにいる。

食器洗いもそうだ。

本来なら、1日10分くらいで終わるはずなのに、私はよくためてしまう。

「あとで洗おう」

「ちょっと休んでからにしよう」

「お風呂に入る前にやろう」

そうやって先延ばしにしているうちに、気づけば食器が山になっている。

結局、30分以上かけて洗うことになる。

10分ずつやっていれば済んだものを、まとめて30分返済している。

しかも、ただでさえ面倒なのに、量が増えているせいでさらに面倒になっている。

完全に自分で自分の首を絞めている。

友達と約束したお店の予約もそうだ。

「まだ先だし、あとで予約しよう」

そう思っていたら、気づけば前日。

そこから急いでお店を探す。

「ここ、もういっぱいじゃん」

「こっちもダメだ」

「え、どこにしよう」

と焦り始める。

最初に5分くらいで予約しておけば済んだ話なのに。

勉強も同じだ。

「勉強しなきゃ」

と思う。

でも今日はちょっと疲れている。

「明日からちゃんとやろう」

と思う。

次の日になる。

「今日はもう遅いし、明日からにしよう」

そして気づけば二週間。

「勉強しよう」と思ってから、二週間が経っている。

二週間もあれば、かなり勉強できる。

でも私は何もしていない。

大学時代も、似たようなことをしていた。

もちろん、ちゃんと勉強したものもある。

でも中には、試験前に一気に詰め込んで、なんとか単位を取ったものもたくさんある。

試験前は必死だった。

「これ覚えないと落ちる」

と言いながら、ひたすら覚える。

そして試験が終わる。

単位は取れた。

終わり。

……で、今。

「この授業で何を勉強した?」と聞かれたら、ほとんど覚えていない。

あのとき、もう少し真面目に勉強しておけばよかったなと思うこともある。

でも、そのときの私は、

「単位さえ取れればいい」

と思っていた。

その知識が、いつか自分の役に立つかもしれないなんて考えていなかった。

その場を乗り切ることしか考えていなかった。

そして今、少しずつ分かってきた。

「あとでやろう」は、何も解決していない。

ただ、未来の自分に押しつけているだけだ。

今の自分がやりたくないことを、未来の自分なら喜んでやってくれるわけではない。

むしろ未来の自分は、今より忙しいかもしれない。

もっと疲れているかもしれない。

もっとやりたくないと思っているかもしれない。

なのに私は、

「未来の私ならやってくれる」

と勝手に信じている。

冷静に考えたら、かなりひどい。

今の私がやりたくないことを、

「はい、よろしく」

と未来の私に渡しているのだから。

しかも未来の私は、何も知らない。

突然、

「はい、段ボール3箱」

「はい、たまった食器」

「はい、昨日まで放置していたお店の予約」

「はい、二週間サボった勉強」

と渡される。

未来の私からしたら、

「いや、なんで全部こっちに持ってきた?」

という話である。

だから最近、

「あとでやろう」は、未来の自分への負債なんじゃないか

と思うようになった。

10分でできることを先延ばしにしたら、未来の自分が30分かけて片付ける。

5分でできる予約を放置したら、未来の自分が焦りながらお店を探す。

毎日少しずつ勉強すればよかったことを放置したら、未来の自分が一気に取り戻そうとする。

借金と同じだ。

しかも、この負債には利息までついてくる。

面倒くささという利息が。

「あとでやろう」を繰り返すほど、やることはどんどん重くなる。

だから今日、部屋にある段ボールを見ながら思った。

未来の私、かわいそう。

4か月前の私が、

「あとで片付けるから!」

と置いていったものを、4か月後の私が片付けることになる。

いや、本当にかわいそう。

しかも4か月前の私は、今の私より暇だった可能性すらある。

だったら、あのとき片付けておけよ。

……過去の私に言いたいことは、まあまあある。

でも、過去の私を責めても段ボールは消えない。

だからせめて、今日の私が少しだけ片付けようと思う。

全部じゃなくていい。

完璧に片付けなくてもいい。

10分でできることなら、10分だけやる。

食器も、全部たまってからやるんじゃなくて、今洗う。

勉強も、「ちゃんと勉強しよう」と意気込むだけじゃなくて、とりあえず30分やる。

未来の自分に、

「ごめん、これ全部よろしく」

と仕事を押しつけ続けるのは、そろそろやめたい。

だって未来の自分だって、

たぶん今の自分と同じくらい、

面倒くさがりだから。

「あとでやろう」は、未来の自分に仕事を押しつける言葉。

今やれば10分で済むことを、未来に回したら30分になるかもしれない。

今日の10分をサボったせいで、明日の自分が1時間苦しむかもしれない。

そう考えると、

「あとでやろう」

って、意外と怖い言葉なのかもしれない。

だから私は今日、未来の自分に少しだけ優しくする。

まずは、段ボールをひとつ片付ける。

……ひとつでいい。

3つ全部は、まだちょっと無理そうだから。

未来の私へ。

全部押しつけるのはやめます。

たぶん。

いや、なるべく。

……本当に、なるべく。

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傘って、全然進化してなくない?

今日、傘の骨組みが一本折れた。

しかも「ちょっと曲がった」とかじゃない。
完全に折れた。

まだ使えなくはないけど、開くたびに微妙に斜めになる。

傘を差しているのに、若干濡れる。

そこでふと思った。

傘って、全然進化してなくない?

よく考えてみてほしい。

私たちが使っている傘って、昔からほとんど変わっていない。

棒があって、骨があって、布が張ってあって、手で持つ。

以上。

もちろん、細かいところは進化している。

ワンタッチで開いたり、軽量化されたり、折りたためたり、撥水性がすごかったり。

強化された骨組みの傘もある。

でも、最終的にやっていることは、

「頭上に布を広げて雨を避ける」

これだけだ。

たまにテレビやSNSで、未来の傘みたいなものを見ることがある。

手で持たなくてもいい、かぶるタイプの傘とか。

風に強い特殊な形の傘とか。

濡れにくい構造の傘とか。

「おお、傘もついに進化したか」

と思う。

でも、次の日に街を歩いてみると、

みんな普通の傘を差している。

結局そこに戻ってくる。

そもそも、傘にそんなにお金をかけない

ここで私は思った。

もしかして、傘が進化していないんじゃなくて、私たちが進化を求めていないのでは?

だって傘って、壊れる。

強風の日なんて、びっくりするくらい簡単に壊れる。

骨が曲がる。

布が裏返る。

最悪の場合、傘そのものが飛んでいく。

そして駅に着くころには、

「これ、もう傘じゃなくて残骸だな」

みたいな状態になる。

そんなものに、ものすごいお金をかけたいだろうか。

たとえば5,000円の高級傘を買って、強風の日に骨が折れたら、

「……。」

となる。

一方で、1,000円くらいの傘なら、

「まあ、傘だしな」

で済む。

この差は大きい。

壊れることが前提のものに、人はそこまでお金をかけない。

だから、傘は「絶対に壊れない最強の道具」を目指すより、

「壊れたら買い替えればいいくらいの値段」

に落ち着いているのかもしれない。

高級傘という選択肢もある

もちろん、世の中には高級な傘もある。

鋼球を落としても大丈夫そうな、めちゃくちゃ丈夫な傘。

見るからに強そうな骨組み。

ブランド物の傘。

たぶん大切に使えば、普通のビニール傘よりずっと長持ちする。

でも私は思う。

それを雨の日に持って歩く勇気がない。

だって傘って、どこかに置き忘れる可能性がある。

コンビニ。

飲食店。

会社。

駅。

そして帰宅してから、

「あれ?傘は?」

となる。

高級傘を失くしたときの精神的ダメージは、雨より強い。

だったら私は、多少壊れても「まあいいか」と思える傘を使いたい。

そして、傘には「雑に扱える」という強さがある

考えてみれば、傘ってかなり便利だ。

折りたためる。

軽い。

持ち運べる。

雨を防げる。

晴れの日には日傘にもなる。

しかも、電源もいらない。

充電もいらない。

アップデートもいらない。

スマホみたいに、

「傘のソフトウェアを更新してください」

なんて言われることもない。

これ以上、何を求めればいいんだろう。

「自動で家まで帰ってきてほしい」

くらいしか思いつかない。

それはもう傘ではない。

もしかしたら「進化しないこと」が完成なのかもしれない

傘は進化していない。

でも、それは傘がダメだからではない。

むしろ逆なのかもしれない。

もう十分だから、進化する必要がない。

雨を防げればいい。

持ち運べればいい。

壊れたら買い替えられるくらいの値段ならいい。

そう考えると、今の傘ってかなり完成されている。

何百年も経って、結局みんな同じような形のものを使っている。

そう考えると、ちょっと面白い。

スマホはどんどん薄くなって、カメラの性能も上がって、AIまで搭載されるようになった。

車も自動運転に向かっている。

掃除機は勝手に部屋を掃除してくれる。

冷蔵庫だって賢くなっている。

なのに傘は、

「雨なので開きます」

くらいで止まっている。

そして今日、私はそんな完成された傘の骨を一本折った。

傘は進化しない。

たぶんこれからも、劇的には進化しない。

だって私たちが求めているのは、

未来の傘じゃなくて、今日の雨を防いでくれる傘だから。

……とはいえ。

次に買う傘は、もう少し骨が強いやつにしようと思う。

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「何食べたい?」に答えられない理由

「何食べたい?」

この質問、意外と難しい。

別に何も食べたくないわけではない。

お腹は空いているし、外食だってしたい。

ただ、いざ「何が食べたい?」と聞かれると、頭の中で急に飲食店の最終選考が始まる。

まず、ジャンルを考える。

「あ、今日はしょっぱいものが食べたいかも」

ここまではいい。

でも、しょっぱいものなんていくらでもある。

ラーメン。

ラーメンは普通に嬉しい。

でも、ラーメンって、あまりゆっくり話しながら食べるものではない。

せっかく一緒にご飯を食べるなら、もう少し喋りながら食べたい気もする。

じゃあパスタ。

パスタもいい。

おしゃれだし、外食感もある。

でも、なぜか「今日、何食べたい?」と聞かれて、あえてパスタを選ぶことは少ない。

これは私だけだろうか。

しかも、パスタって家でも作れる気がしてしまう。

いや、もちろんお店のパスタは美味しい。

でも「せっかく外食するなら……」という気持ちが出てくる。

じゃあ中華。

これも美味しい。

餃子も食べたいし、チャーハンもいい。

でも、これもまた「家でもできそう」という考えがよぎる。

そして、そもそも私は定食を外食の候補に入れない。

定食が嫌いなわけではない。

むしろ好きだ。

でも、外食をする日にわざわざ「定食を食べに行こう」とは、なかなかならない。

じゃあハンバーグ。

これもいい。

ステーキもいい。

でも、ちょっと高い。

焼肉。

最高。

でも、高い。

こうして考えているうちに、最初に食べたかったものが何だったのか分からなくなってくる。

そして最終的に、

「なんでもいいよ」

と言う。

たぶん、これが「何でもいい」の正体だ。

本当に何でもいいわけではない。

考えすぎて、もう自分で決めるのが面倒になっているのである。

「何食べたい?」と聞かれた瞬間、

・値段は高すぎないか
・家で作れないものか
・せっかくの外食感はあるか
・ゆっくり話せるか
・今の気分に合っているか

そんな条件が勝手に追加されていく。

そりゃ、すぐには決まらない。

だから、できれば相手に決めてほしい。

「じゃあ今日は〇〇にしよう」

と言ってくれたら、

「あ、いいね」

と案外すんなり決まる。

そして相手も決められなかった場合。

そのとき初めて、

「本当にしいて言えば……」

と、今この瞬間に一番食べたいものを考える。

「じゃあ、ラーメンかな」

みたいな。

結局、食べたいものはちゃんとある。

ただ、そこに辿り着くまでに脳内で無駄に何店舗も閉店させているだけなのだ。

「何食べたい?」

という質問は、単純な質問に見えて、実はなかなか難しい。

だから私は今日も、

「なんでもいいよ」

と言う。

もちろん、本当になんでもいいわけではない。

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夢を話すのが怖い。諦めたんじゃなくて、話さなくなっただけ。

「こういうことをやってみたい」

そう思ったとき、私はすぐに人に話せない。

やりたいことができても、頭の中で何度も考える。

これを言ったら、何て言われるだろう。

「そんなの無理じゃない?」

「やめといたほうがいいよ」

そう言われるのが、少し怖い。

だから、せっかく思いついたことも、誰にも言わずに自分の中だけで温めていることがある。

別に、自分の考えに自信がないわけではない。

むしろ、やってみたいと思っている。

ただ、口に出した瞬間に「無理」と言われて、その気持ちまでしぼんでしまうのが嫌なのだ。

私は、夢を話すのが苦手になった

特に親には、何か新しいことを話すのが少し苦手だ。

私が「こうしてみたい」と話すと、心配してくれる。

「やめとけ」

「大変だよ」

「そんな簡単じゃないよ」

そんな言葉をかけられることが多かった。

でも、親が私を心配していることは分かっている。

失敗してほしくないのだと思う。

苦労してほしくないのだと思う。

自分が知らない世界に飛び込んで、傷ついてほしくない。

そう考えてくれているのだろう。

だから、親に「やめとけ」と言われること自体が嫌なわけではない。

ただ、それが何度も続くと、少しずつ自分の中に変化が起きる。

「どうせ話しても、やめとけって言われる」

そう思うようになる。

そして、

だったら最初から話さないほうがいい。

そうやって、自分の中で完結させるようになった。

今思えば、私はいつの間にか「否定されないための準備」をするようになっていたのかもしれない。

最近、またひとつ夢ができた

そんな私に、最近また「やってみたい」と思うことができた。

まだ何も決まっていない。

本当にできるのかも分からない。

だから、やっぱり人に話すのは少し怖かった。

それでも、思い切って会社の人に相談してみた。

すると、私の予想とは違う反応が返ってきた。

話をちゃんと聞いてくれて、

「こっちでも調べてみるよ」

「また何か分かったら言うね」

と言ってくれた。

その言葉が、思っていた以上に嬉しかった。

「絶対できるよ」と言われたわけではない。

「大丈夫、大丈夫」と無責任に背中を押されたわけでもない。

ただ、私の話を聞いて、可能性があるかどうかを一緒に探そうとしてくれた。

それだけだった。

でも、それがすごく嬉しかった。

「無理」と答えを出される前に、「調べてみる」という選択肢があるんだ。

そう思った。

そして、親にも話してみた

会社の人に話したことで少し勇気が出た私は、同じことを親にも話してみた。

もしかしたら今回は違うかもしれない。

そんな期待も少しあった。

でも、結果はいつもと同じだった。

「やめとけ。」

やっぱりか、と思った。

正直、少し悲しかった。

でも、不思議と前ほど腹は立たなかった。

たぶん、会社の人とのやり取りを経験したことで、私は初めて気づいたのだと思う。

親は親の立場から、私を心配している。

会社の人は、私の話を聞いた上で「どうすればできるのか」を考えてくれた。

どちらが正しい、という話ではない。

ただ、同じ「心配」でも、かける言葉によって受け取る側の気持ちはこんなに違うんだと思った。

私は、いつから「どうせ無理」と思うようになったんだろう

そこで、少しだけ自分のことを考えた。

私はもともと、こんなに人の反応を気にする性格だったのだろうか。

それとも、何度も「やめとけ」と言われるうちに、

「新しいことを言うと止められる」

「やりたいと言うと心配される」

「だったら、最初から言わないほうがいい」

という考え方が、自分を守るための癖になったのだろうか。

たぶん、どちらもある。

でも、親だけのせいにするのも違うと思う。

もう私は大人だから。

誰かに何と言われようと、最後に決めるのは自分だ。

「やめとけ」と言われたから諦めるのか。

それとも、自分で調べて、それでもやりたいと思うのか。

それは私が決めていい。

今回のことは、そんな当たり前のことを思い出させてくれた。

もし子どもができたら

今回のことを考えていたら、将来のことまで考えるようになった。

もし私に子どもができたら。

その子が、

「これをやってみたい」

「こんなことを考えている」

と話してきたとき、私はどうするだろう。

たぶん、心配すると思う。

危ないことなら止めると思う。

お金がかかることなら、現実的な問題も一緒に考えると思う。

でも、その前に一度、

「なんでやりたいの?」

と聞いてみたい。

そして、自分でも調べてみたい。

本当に無理なのか。

別の方法はないのか。

どうしたらできるのか。

私が知らないだけで、何か方法があるかもしれない。

それを調べもせずに「やめとけ」と言ってしまったら、その子が持っていた可能性を、私の知らないところで閉じてしまうかもしれない。

もちろん、調べた結果「これは難しいね」となることもあるだろう。

それでもいいと思う。

やりたいと思うなら、自分が納得するところまでやってみればいい。

途中で「やっぱり違った」と思ったら、やめればいい。

やってみて失敗することだってある。

でも、それも自分で選んだ結果なら、その子の経験になる。

私は、そんなふうに思う。

「やめとけ」の前に、一緒に考えられる人になりたい

今回、会社の人に言ってもらった「調べてみるよ」という言葉は、たぶんこれからも覚えていると思う。

何か特別なことを言われたわけじゃない。

ただ、一緒に可能性を探してくれた。

それだけで、自分の「やってみたい」が、もう少し大事なものに思えた。

だから私も、いつか誰かに相談されたときには、そんなふうに返せる人になりたい。

すぐに答えを出さない。

自分の価値観だけで「無理」と決めない。

まず話を聞く。

分からなければ調べる。

その人が自分で考えて、自分で決められるようにする。

たぶん、それが「応援する」ということなのかもしれない。

親がくれた心配も、私にとっては大切なものだった。

でも、それとは別に、今回もらった「調べてみるよ」という言葉も、私の中に残った。

私はその二つを比べて、親を責めたいわけではない。

ただ、自分がどんなふうに誰かの「やってみたい」に向き合う人になりたいのかを、少し考えるようになった。

そして、自分自身の夢についても。

誰かに「やめとけ」と言われたとき、すぐに諦めるのではなく、

一度、自分で調べてみようと思う。

それでもやりたいなら、やってみればいい。

自分が納得するまでやり切った方が、人生楽しい気がするから。

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縮毛矯正してるけどハイトーンにしたい。くせ毛の私の髪事情

私は、チリチリしたくせ毛ではない。

髪を一本ずつ見ると、そこまで気にならない。

でも、全体になると、波みたいにうねる。

朝は綺麗にまとまっていたのに、外に出て少しすると、いつの間にかシルエットが変わっている。

毎日アイロンをしても、湿気がある日はすぐにうねる。

たぶん、私の髪は、私より自由だ。

だから、縮毛矯正をかけている。

前髪が決まるだけで、少し違う

アイドルみたいな前髪や、ぱつっと揃った前髪を見ると、つい目で追ってしまう。

少し重たくて、毛先が綺麗に揃っている前髪。

ああいう髪型は、ほんの少し形が崩れるだけで印象が変わる。

私の場合、朝にアイロンをしても、時間が経つとうねってくる。

家を出るときは綺麗だったのに、気づいたら少し浮いている。

だから縮毛矯正は、朝のセットを楽にするためだけではない。

なりたい髪型に近づくために、必要なものだったりする。

特に、前髪には。

でも、ひとつだけ困ることがある

それが、ハイトーンとの両立。

ハイトーンのショートヘアを見ると、なんとなく目が止まる。

明るい髪に、短い髪。

軽くて、ふわっとしていて、少し儚い。

「こんな髪にできたらな」

と、たまに思う。

でも、縮毛矯正とブリーチは、どちらも髪への負担が大きい施術。

髪の状態によっては、ビビり毛になったり、髪が切れてしまったりすることもある。

だから、縮毛矯正をしている髪をハイトーンにしたいなら、今の髪の状態をきちんと見てもらう必要がある。

縮毛矯正をした時期や、ブリーチ・カラーの履歴、毛先のダメージ。

美容師さんに伝えることは、意外と多い。

「この色にしたい」と写真を見せるだけではなく、今までどんな施術をしてきたのかも伝えておく。

それだけでも、髪を守るための大切な材料になる。

どちらかを選ばなきゃいけないみたいで…

くせ毛でも、ハイトーンにはできる。

ただ、縮毛矯正を続けるなら、ブリーチには慎重にならないといけない。

反対に、ハイトーンを優先するなら、今までよりも髪のうねりと付き合うことになるかもしれない。

どちらも欲しいのに、簡単には選べない。

それが、少しだけ寂しい。

ハイトーンのショートが似合うアイドルを見ると、

「いいなあ」

と思う。

明るい髪も、短い髪も、すごく似合っている。

その写真を閉じたあと、

「私はこういう髪にはできないのかな」

と考える。

くせ毛で生まれたから、きっとこれからも、この髪とは付き合っていく。

自分で選んだわけではないので、少し残念。

それでも、今の髪をどうにか可愛くしたい

ハイトーンを諦める、と決めたわけではない。

髪の状態が変われば、できることも変わるかもしれない。

だから今は、無理にブリーチをするより、今の髪でできる可愛い髪型を探している。

チョコレートみたいなブラウンにしてみたり。

少しだけ髪型の雰囲気を変えてみたり。

前髪を丁寧に作ってみたり。

大きく変えなくても、髪が少し綺麗になるだけで、鏡を見る時間がほんの少し楽しくなる。

もし縮毛矯正をしていてハイトーンにしたいなら、まずは美容師さんに相談してみる。

「できるか、できないか」だけじゃなくて、今の髪ならどこまでできるのかを聞いてみる。

できないと言われることもあるかもしれない。

そのときは、ちょっと悲しい。

でも、髪が切れてしまったら、もっと悲しい。

だから、急がないことにしている。

いつか、できるかもしれない

今でも、ハイトーンのショートを見ると目が止まる。

可愛い髪型を見つけると、こっそり保存する。

明るい髪。

短い髪。

ぱつっとした前髪。

さらさらの髪。

いつかできる日が来るかもしれない。

来ないかもしれない。

でも、まだ決めなくてもいい気がする。

美容院の鏡の前で、

「次はどうしようかな」

と考える。

そのときの髪の状態を見ながら、また決めればいい。

くせ毛だから、縮毛矯正をする。

縮毛矯正をしているから、ブリーチには少し慎重になる。

それでも、可愛くなる方法はいくらでもある。

全部を一度に叶えなくてもいい。

やってみたい髪型を、ひとつずつ残しておく。

そのほうが、次に美容院へ行く日が少し楽しみになる気がする。