「こういうことをやってみたい」
そう思ったとき、私はすぐに人に話せない。
やりたいことができても、頭の中で何度も考える。
これを言ったら、何て言われるだろう。
「そんなの無理じゃない?」
「やめといたほうがいいよ」
そう言われるのが、少し怖い。
だから、せっかく思いついたことも、誰にも言わずに自分の中だけで温めていることがある。
別に、自分の考えに自信がないわけではない。
むしろ、やってみたいと思っている。
ただ、口に出した瞬間に「無理」と言われて、その気持ちまでしぼんでしまうのが嫌なのだ。
私は、夢を話すのが苦手になった
特に親には、何か新しいことを話すのが少し苦手だ。
私が「こうしてみたい」と話すと、心配してくれる。
「やめとけ」
「大変だよ」
「そんな簡単じゃないよ」
そんな言葉をかけられることが多かった。
でも、親が私を心配していることは分かっている。
失敗してほしくないのだと思う。
苦労してほしくないのだと思う。
自分が知らない世界に飛び込んで、傷ついてほしくない。
そう考えてくれているのだろう。
だから、親に「やめとけ」と言われること自体が嫌なわけではない。
ただ、それが何度も続くと、少しずつ自分の中に変化が起きる。
「どうせ話しても、やめとけって言われる」
そう思うようになる。
そして、
だったら最初から話さないほうがいい。
そうやって、自分の中で完結させるようになった。
今思えば、私はいつの間にか「否定されないための準備」をするようになっていたのかもしれない。
最近、またひとつ夢ができた
そんな私に、最近また「やってみたい」と思うことができた。
まだ何も決まっていない。
本当にできるのかも分からない。
だから、やっぱり人に話すのは少し怖かった。
それでも、思い切って会社の人に相談してみた。
すると、私の予想とは違う反応が返ってきた。
話をちゃんと聞いてくれて、
「こっちでも調べてみるよ」
「また何か分かったら言うね」
と言ってくれた。
その言葉が、思っていた以上に嬉しかった。
「絶対できるよ」と言われたわけではない。
「大丈夫、大丈夫」と無責任に背中を押されたわけでもない。
ただ、私の話を聞いて、可能性があるかどうかを一緒に探そうとしてくれた。
それだけだった。
でも、それがすごく嬉しかった。
「無理」と答えを出される前に、「調べてみる」という選択肢があるんだ。
そう思った。
そして、親にも話してみた
会社の人に話したことで少し勇気が出た私は、同じことを親にも話してみた。
もしかしたら今回は違うかもしれない。
そんな期待も少しあった。
でも、結果はいつもと同じだった。
「やめとけ。」
やっぱりか、と思った。
正直、少し悲しかった。
でも、不思議と前ほど腹は立たなかった。
たぶん、会社の人とのやり取りを経験したことで、私は初めて気づいたのだと思う。
親は親の立場から、私を心配している。
会社の人は、私の話を聞いた上で「どうすればできるのか」を考えてくれた。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ、同じ「心配」でも、かける言葉によって受け取る側の気持ちはこんなに違うんだと思った。
私は、いつから「どうせ無理」と思うようになったんだろう
そこで、少しだけ自分のことを考えた。
私はもともと、こんなに人の反応を気にする性格だったのだろうか。
それとも、何度も「やめとけ」と言われるうちに、
「新しいことを言うと止められる」
「やりたいと言うと心配される」
「だったら、最初から言わないほうがいい」
という考え方が、自分を守るための癖になったのだろうか。
たぶん、どちらもある。
でも、親だけのせいにするのも違うと思う。
もう私は大人だから。
誰かに何と言われようと、最後に決めるのは自分だ。
「やめとけ」と言われたから諦めるのか。
それとも、自分で調べて、それでもやりたいと思うのか。
それは私が決めていい。
今回のことは、そんな当たり前のことを思い出させてくれた。
もし子どもができたら
今回のことを考えていたら、将来のことまで考えるようになった。
もし私に子どもができたら。
その子が、
「これをやってみたい」
「こんなことを考えている」
と話してきたとき、私はどうするだろう。
たぶん、心配すると思う。
危ないことなら止めると思う。
お金がかかることなら、現実的な問題も一緒に考えると思う。
でも、その前に一度、
「なんでやりたいの?」
と聞いてみたい。
そして、自分でも調べてみたい。
本当に無理なのか。
別の方法はないのか。
どうしたらできるのか。
私が知らないだけで、何か方法があるかもしれない。
それを調べもせずに「やめとけ」と言ってしまったら、その子が持っていた可能性を、私の知らないところで閉じてしまうかもしれない。
もちろん、調べた結果「これは難しいね」となることもあるだろう。
それでもいいと思う。
やりたいと思うなら、自分が納得するところまでやってみればいい。
途中で「やっぱり違った」と思ったら、やめればいい。
やってみて失敗することだってある。
でも、それも自分で選んだ結果なら、その子の経験になる。
私は、そんなふうに思う。
「やめとけ」の前に、一緒に考えられる人になりたい
今回、会社の人に言ってもらった「調べてみるよ」という言葉は、たぶんこれからも覚えていると思う。
何か特別なことを言われたわけじゃない。
ただ、一緒に可能性を探してくれた。
それだけで、自分の「やってみたい」が、もう少し大事なものに思えた。
だから私も、いつか誰かに相談されたときには、そんなふうに返せる人になりたい。
すぐに答えを出さない。
自分の価値観だけで「無理」と決めない。
まず話を聞く。
分からなければ調べる。
その人が自分で考えて、自分で決められるようにする。
たぶん、それが「応援する」ということなのかもしれない。
親がくれた心配も、私にとっては大切なものだった。
でも、それとは別に、今回もらった「調べてみるよ」という言葉も、私の中に残った。
私はその二つを比べて、親を責めたいわけではない。
ただ、自分がどんなふうに誰かの「やってみたい」に向き合う人になりたいのかを、少し考えるようになった。
そして、自分自身の夢についても。
誰かに「やめとけ」と言われたとき、すぐに諦めるのではなく、
一度、自分で調べてみようと思う。
それでもやりたいなら、やってみればいい。
自分が納得するまでやり切った方が、人生楽しい気がするから。