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「あとでやろう」を100回繰り返した結果、人生がこうなった。

「あとでやろう」

私はこの言葉を、たぶん人生で何千回も使っている。

そして今日も使った。

部屋の片付けをしようと思った。

引っ越してから、もう4か月が経っている。

なのに、部屋にはまだ段ボールが3つある。

3つ。

引っ越してきた直後なら分かる。

1週間後でも、まあ分かる。

1か月後なら、ちょっと怪しい。

でも4か月。

もう段ボールのほうが、「ここが私の家です」みたいな顔をしている。

中に何が入っているのかは、だいたい分かっている。

ただ、片付けるのが面倒なのだ。

本気で片付けようと思ったら、たぶん丸一日かかる。

だから、

「今日は疲れてるし、休みの日にやろう」

となる。

そして休みの日になる。

「今日は予定あるし、また今度でいいか」

となる。

そして、また数週間が経つ。

段ボールは何も悪いことをしていない。

ただ、そこにいる。

私が「あとでやる」と言い続けた結果、そこにいる。

食器洗いもそうだ。

本来なら、1日10分くらいで終わるはずなのに、私はよくためてしまう。

「あとで洗おう」

「ちょっと休んでからにしよう」

「お風呂に入る前にやろう」

そうやって先延ばしにしているうちに、気づけば食器が山になっている。

結局、30分以上かけて洗うことになる。

10分ずつやっていれば済んだものを、まとめて30分返済している。

しかも、ただでさえ面倒なのに、量が増えているせいでさらに面倒になっている。

完全に自分で自分の首を絞めている。

友達と約束したお店の予約もそうだ。

「まだ先だし、あとで予約しよう」

そう思っていたら、気づけば前日。

そこから急いでお店を探す。

「ここ、もういっぱいじゃん」

「こっちもダメだ」

「え、どこにしよう」

と焦り始める。

最初に5分くらいで予約しておけば済んだ話なのに。

勉強も同じだ。

「勉強しなきゃ」

と思う。

でも今日はちょっと疲れている。

「明日からちゃんとやろう」

と思う。

次の日になる。

「今日はもう遅いし、明日からにしよう」

そして気づけば二週間。

「勉強しよう」と思ってから、二週間が経っている。

二週間もあれば、かなり勉強できる。

でも私は何もしていない。

大学時代も、似たようなことをしていた。

もちろん、ちゃんと勉強したものもある。

でも中には、試験前に一気に詰め込んで、なんとか単位を取ったものもたくさんある。

試験前は必死だった。

「これ覚えないと落ちる」

と言いながら、ひたすら覚える。

そして試験が終わる。

単位は取れた。

終わり。

……で、今。

「この授業で何を勉強した?」と聞かれたら、ほとんど覚えていない。

あのとき、もう少し真面目に勉強しておけばよかったなと思うこともある。

でも、そのときの私は、

「単位さえ取れればいい」

と思っていた。

その知識が、いつか自分の役に立つかもしれないなんて考えていなかった。

その場を乗り切ることしか考えていなかった。

そして今、少しずつ分かってきた。

「あとでやろう」は、何も解決していない。

ただ、未来の自分に押しつけているだけだ。

今の自分がやりたくないことを、未来の自分なら喜んでやってくれるわけではない。

むしろ未来の自分は、今より忙しいかもしれない。

もっと疲れているかもしれない。

もっとやりたくないと思っているかもしれない。

なのに私は、

「未来の私ならやってくれる」

と勝手に信じている。

冷静に考えたら、かなりひどい。

今の私がやりたくないことを、

「はい、よろしく」

と未来の私に渡しているのだから。

しかも未来の私は、何も知らない。

突然、

「はい、段ボール3箱」

「はい、たまった食器」

「はい、昨日まで放置していたお店の予約」

「はい、二週間サボった勉強」

と渡される。

未来の私からしたら、

「いや、なんで全部こっちに持ってきた?」

という話である。

だから最近、

「あとでやろう」は、未来の自分への負債なんじゃないか

と思うようになった。

10分でできることを先延ばしにしたら、未来の自分が30分かけて片付ける。

5分でできる予約を放置したら、未来の自分が焦りながらお店を探す。

毎日少しずつ勉強すればよかったことを放置したら、未来の自分が一気に取り戻そうとする。

借金と同じだ。

しかも、この負債には利息までついてくる。

面倒くささという利息が。

「あとでやろう」を繰り返すほど、やることはどんどん重くなる。

だから今日、部屋にある段ボールを見ながら思った。

未来の私、かわいそう。

4か月前の私が、

「あとで片付けるから!」

と置いていったものを、4か月後の私が片付けることになる。

いや、本当にかわいそう。

しかも4か月前の私は、今の私より暇だった可能性すらある。

だったら、あのとき片付けておけよ。

……過去の私に言いたいことは、まあまあある。

でも、過去の私を責めても段ボールは消えない。

だからせめて、今日の私が少しだけ片付けようと思う。

全部じゃなくていい。

完璧に片付けなくてもいい。

10分でできることなら、10分だけやる。

食器も、全部たまってからやるんじゃなくて、今洗う。

勉強も、「ちゃんと勉強しよう」と意気込むだけじゃなくて、とりあえず30分やる。

未来の自分に、

「ごめん、これ全部よろしく」

と仕事を押しつけ続けるのは、そろそろやめたい。

だって未来の自分だって、

たぶん今の自分と同じくらい、

面倒くさがりだから。

「あとでやろう」は、未来の自分に仕事を押しつける言葉。

今やれば10分で済むことを、未来に回したら30分になるかもしれない。

今日の10分をサボったせいで、明日の自分が1時間苦しむかもしれない。

そう考えると、

「あとでやろう」

って、意外と怖い言葉なのかもしれない。

だから私は今日、未来の自分に少しだけ優しくする。

まずは、段ボールをひとつ片付ける。

……ひとつでいい。

3つ全部は、まだちょっと無理そうだから。

未来の私へ。

全部押しつけるのはやめます。

たぶん。

いや、なるべく。

……本当に、なるべく。

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