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冷笑する人が増えたのか、それとも冷笑が見えるようになったのか

最近、SNSを眺めていると、「冷笑」という言葉が目に入ることが増えた。

誰かが何かを頑張っていれば「意識高い系」と言われる。

楽しそうな写真を載せれば「承認欲求が強そう」と言われる。

何かを好きだと話せば、「そこまでハマる?」と笑われる。

少し前なら、ただ「楽しそうだな」で終わっていたようなものにも、いつの間にか理由がつけられている。

承認欲求だとか、自己顕示欲だとか。

そういう言葉を見ていると、最近は人を冷めた目で見る人が増えたのかな、と思う。

けれど、ふと昔のことを思い出す。

そういえば、子どもの頃にも似たようなことはあった。

むしろ私の記憶では、今よりずっと周りの目を気にしていた。

それなら、いったい何が変わったのだろう。

「目立ちたがり屋」という言葉

小学生の頃、クラスの中で目立つ子がいた。

授業中によく手を挙げる子。

いつも大きな声で話している子。

みんなの前に出ることを嫌がらない子。

そういう子達が、「目立ちたがり屋だよね」と言われることがあった。

本人が本当に目立ちたかったのかは分からない。

ただ、周りからはそう見えた。

誰か一人について、みんなで何かを言うこともあった。

その場にいる人たちの中で、「あの子はこういう子」というイメージができていく。

今思えば、子どもの集団にはそういうところがあった。

みんなと同じでいることが安心だったり、少し違うことをすると妙に目についたりする。

私自身も、周りからどう見られているかを気にしていた。

変なことを言わないようにする。

浮かないようにする。

目立ちすぎないようにする。

当時はそれが特別なことだと思っていなかったけれど、振り返ってみると、かなり周囲の視線を意識していた気がする。

だから、「目立っている人を少し冷めた目で見る」という感覚自体は、別に最近生まれたものではないのかもしれない。

昔は、それを「目立ちたがり屋」と呼んでいただけなのかもしれない。

インターネットは、知らない人まで近くにする

昔と今で大きく違うのは、やっぱりインターネットだと思う。

子どもの頃なら、自分の学校や友達のことくらいしか知らない。

誰かが目立っていても、その人を見ているのは、同じ教室にいる人たちだった。

今は違う。

スマホを開けば、知らない人の生活が流れてくる。

どこかへ旅行した人。

新しい服を買った人。

恋人と過ごしている人。

仕事について語っている人。

趣味について熱く話している人。

自分の生活とは何の関係もない人たちの姿が、毎日のように目に入ってくる。

しかも、見えるのは投稿だけではない。

その投稿を見た人たちが、何を思ったのかまで見えてしまう。

「素敵」

「楽しそう」

という言葉の隣に、

「承認欲求すごい」

「目立ちたいだけ」

「必死だな」

という言葉が並んでいる。

昔なら、その人の知らないところで交わされていたかもしれない会話まで、今は画面の中に残る。

冷笑する人が増えたのかどうかは分からない。

ただ、冷笑している人の存在が、以前よりずっと見つけやすくなった。

それだけでも、ずいぶん違う。

「承認欲求」という言葉

SNSを見ていると、「承認欲求」という言葉は本当によく出てくる。

何かを投稿していれば、

「人に見てほしいんだろうな」

という意味で使われる。

たしかに、誰かに見てもらいたいという気持ちは、SNSと切り離せないのかもしれない。

でも、写真を載せる理由なんて、そんなに単純でもない。

思い出として残したい。

友達に見せたい。

自分が気に入ったから載せたい。

なんとなく投稿したい。

いろんな理由がある。

それでも、知らない人の投稿を見て「承認欲求」という言葉を置くと、なんとなく分かったような気になる。

昔の「目立ちたがり屋」という言葉と、少し似ている気がする。

「あの人は目立ちたいんだ」と決めてしまえば、その人がなぜそんなことをしているのかを考えなくても済む。

本当のところは、本人にしか分からないのに。

昔の「みんな」と、今の「みんな」

子どもの頃の「みんな」は、せいぜいクラスの30人くらいだった。

その中でどう見られているかが気になる。

誰かと仲が良いとか、誰が人気だとか、誰がちょっと浮いているとか。

小さな世界の中で、人の目は案外大きかった。

今は、その「みんな」がずっと大きくなった。

SNSに投稿すれば、誰が見ているのか分からない。

数人かもしれないし、何千人かもしれない。

そして、その中の誰かが何かを言えば、それをまた別の誰かが見る。

一人の感想が、別の人の感想を呼ぶ。

気づけば、一つの投稿を囲むように、たくさんの人の視線が集まっている。

昔の教室にも、似たようなことはあった。

ただ、その教室には壁があった。

SNSには、ほとんど壁がない。

そこが大きな違いなのかもしれない。

冷笑する側だけが変わったわけではない

そして、変わったのは「誰かを見る側」だけではないと思う。

見られる側も、以前よりずっと視線を意識しやすくなった。

何かを投稿するとき、

「これ、自慢だと思われないかな」

「承認欲求って思われたら嫌だな」

「変な人だと思われないかな」

と考える。

実際に誰かから何か言われたわけでもないのに、投稿する前からその反応を想像してしまう。

昔なら、「クラスのみんなにどう思われるか」を気にしていた。

今はそこに、顔も知らない人たちまで加わった。

しかも、その人たちが何を言うかは分からない。

そう考えると、SNSで感じる独特な空気は、冷笑する人が増えたことだけでは説明できない気がする。

見る人が増えたこと。

見られていることを意識するようになったこと。

そして、その両方が同じ場所に集まっていること。

その三つが重なって、今のSNSの空気をつくっているのかもしれない。

冷笑は、昔より増えたのか

結局、本当に冷笑する人が増えたのかは分からない。

昔のことを思い出しても、子どもの集団には子どもの集団なりの冷たさがあった。

目立つ人がいれば、何か言われる。

少し違うことをすれば、目につく。

誰かについての話が、いつの間にかみんなの共通認識になっている。

今と比べて、そこまで違わない部分もある。

ただ、昔はその光景を見ることができる範囲が狭かった。

今は、世界中のどこかで誰かが誰かについて話している。

それが自分のスマホに流れてくる。

だから「冷笑する人が増えた」と感じるのも、少し分かる。

実際に増えたのかもしれない。

でも、もしかすると、昔からあったものが見えるようになっただけなのかもしれない。

小学生の頃の教室で交わされていた「目立ちたがり屋」という言葉と、SNSで見かける「承認欲求」という言葉。

形は少し変わっているけれど、その奥にあるものは、案外そんなに変わっていないのかもしれない。

昔は、教室の中だけだった。

今は、画面の向こうまで続いている。

そう考えると、「冷笑する人が増えた」のか、それとも「冷笑が見えるようになった」のか。

その境目は、思っていたより曖昧なのかもしれない。

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20代のお金、何に使う?私は「経験」と「美味しいもの」に使いたい

社会人になって、自分で自由に使えるお金が増えた。

学生の頃よりは多少余裕がある。

とはいえ、無限にあるわけではない。

給料日前になると、ちゃんと財布が寂しくなる。

だからこそ、「何にお金を使うか」は意外と大事なんじゃないかと思う。

貯金もしたい。

でも、節約しすぎて何も楽しめないのも嫌。

今回は、私がお金を使うなら、ここに使いたいなと思うものを考えてみた。

美味しいものは、若いうちに食べておきたい

まずはこれ。

美味しいものを食べる。

かなり大事。

背脂たっぷりのラーメンとか、かつ丼とか、焼肉とか。

「ちょっと食べすぎかな……」と思いながら食べるものほど美味しかったりする。

もちろん健康第一なので、毎日背脂ラーメンを食べようという話ではない。

そんなことをしたら、若さに甘えていたことを数年後に後悔するかもしれない。

でも、若いうちは「美味しい!」と思いながらいろんなものを食べられる。

だったら、食べたいものを我慢しすぎる必要はないと思う。

食事って、毎日のことだから。

ちょっと美味しいものを食べるだけで、その日の満足度がかなり上がることもある。

私は、こういう小さな幸福に使うお金はケチりたくない。

高級レストランじゃなくてもいい。

仕事終わりに食べるラーメンでもいい。

「今日これ食べてよかった〜」と思えるなら、それだけで十分元を取っている気がする。

旅行には、できるだけお金を使いたい

次に使いたいのが旅行。

私は、若いうちにいろんな場所へ行っておきたい。

きれいな景色を見たり、知らない街を歩いたり、その土地のものを食べたり。

旅行って、行く前は「交通費高いな……」と思うのに、帰ってくると「行ってよかった」と思うことが多い。

不思議。

そして、いろんな場所に行くと、自分が今まで知らなかった文化や考え方に触れることができる。

「こういう暮らし方もあるんだ」と知るだけでも、自分の中に何か残る。

そういう経験が少しずつ、自分の考え方や価値観を作っていくんじゃないかなと思う。

だから、旅行に使うお金は単なる出費ではなくて、経験を買うお金だと思っている。

交通費だってそう。

もちろん安くできるなら安くする。

歩ける距離なら歩けばいい。

でも、交通費をケチったせいで移動だけで疲れ果てたり、行きたい場所を諦めたりするくらいなら、私はお金を払って時間を買いたい。

若いうちの時間って、思っているより貴重だと思うから。

趣味には、ちゃんとお金を使う

趣味も大事。

むしろ、私はもっと趣味にお金を使っていいと思っている。

「趣味にお金を使う=贅沢」

みたいに思ってしまうこともあるけれど、好きなことをするためのお金って、かなり有意義だと思う。

好きだから続けられる。

続けているうちに上手くなる。

知識も増える。

もしかしたら、それがいつか仕事や収入につながるかもしれない。

最初から「副業にしよう!」と考えなくてもいい。

好きでやっていたことが、気づいたら自分の武器になっていることだってある。

好きこそものの上手なれ。

昔の人、いいこと言う。

だから、「これは趣味だからお金をかけるのはもったいない」とは思わずに、自分が本当に好きなことには使いたい。

大切な人のためのお金は、惜しまなくていい

もうひとつ、私は大切な人のためにもお金を使いたい。

誕生日プレゼントを買ったり、一緒に美味しいものを食べたり、どこかへ遊びに行ったり。

もちろん毎回高いものを買う必要はない。

でも、

「これをしてあげたい」

と思ったときは、できる範囲でちゃんと使いたい。

だって、誰かのために使ったお金って、結局自分にも返ってくると思うから。

相手が喜んでくれたり、一緒に楽しい時間を過ごせたりする。

それなら、自分にとっても嬉しい。

大切な人のために使うことは、自分のためでもある。

私はそう思っている。

節約するなら「どうでもいいところ」を

ここまで使う話ばかりしてきたけど、もちろん何でも買えばいいわけではない。

節約できるところは、ちゃんと節約したい。

光熱費とか、使っていないサブスクとか。

あと、「なんとなく買うもの」。

これが一番危ない。

特に、

「安いから買おう」

は結構危険。

安いから買ったけど、家に帰ったら別にいらなかった。

そして数週間後、存在すら忘れている。

あるある。

1000円だからいいや、と思って買ったものを10個集めたら1万円になる。

「安い」は「必要」ではない。

ここはちゃんと分けて考えたい。

高いから諦める?私は「本当に欲しいか」で考えたい

逆に、買うか迷っているものがあって、

「欲しいけど、高いんだよな……」

というとき。

私は、本当に欲しいなら買ってもいいんじゃない?と思う。

もちろん、生活費を削ってまで買うとか、借金して買うとか、そういう話ではない。

ちゃんと払える範囲での話。

何日経っても欲しい。

買ったら長く使いそう。

ちゃんと大切にできそう。

そう思うなら、「高い」という理由だけで諦めなくてもいいと思う。

反対に、

「安いから買っちゃおう」

は一回立ち止まる。

本当に必要?

家に置く場所ある?

似たようなの持ってない?

そもそも、なんで欲しいんだっけ?

ここまで考えて「いらないな」と思ったら、たぶんいらない。

20代のお金は、全部貯金しなくてもいい

もちろん、将来のために貯金することも大切。

何かあったときにお金がないのは困るし、将来やりたいことができたときにもお金は必要になる。

だから、貯めるお金はちゃんと貯める。

でも、20代のお金を全部「未来のため」に残しておく必要もないと思っている。

今しかできないこともある。

今だから美味しく食べられるものもある。

今だから行ける場所もある。

今だからできる趣味もある。

だったら、貯めるだけじゃなくて、今の自分にもちゃんと使ってあげたい。

私なら、

美味しいものを食べる。
旅行に行く。
好きなことをする。
大切な人との時間に使う。

その代わり、どうでもいいものには使わない。

そんなふうにメリハリをつけたい。

お金は、たくさん使えばいいわけでも、たくさん貯めればいいわけでもない。

「使ってよかった」と思えるお金を増やしていく。

20代のうちは、そんな使い方をしていきたい。

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心因性頻尿はどう改善した?20代の私が実際にやってよかったこと

「またトイレに行きたくなったらどうしよう。」

授業中、テスト中、会議、講習会、電車やタクシーの中。

すぐにトイレへ行けない状況になると、急に尿意が気になる。

そんな経験はありませんか?

私も高校生の頃から、長い間この悩みがありました。

そして、今になって一番伝えたいことがあります。

周りの人は、自分が思っているほど自分のことを見ていません。

「そんなこと分かってるよ」と思うかもしれません。

私もそうでした。

頭では分かっている。

でも、いざ尿意を感じると、

「今トイレに行ったらどう思われるだろう」

「またトイレに行ってると思われないかな」

「途中で席を立つのは恥ずかしい」

と考えてしまう。

だから、「気にしなければいい」と言われても、それができない。

私もずっとそうでした。

この記事では、単に「気にしなければ大丈夫」と言うのではなく、私自身がどうやって少しずつ「トイレに行っても大丈夫」と思えるようになったのかを書いてみます。

※この記事はあくまで私自身の体験談です。頻尿にはさまざまな原因があります。痛みや血尿、発熱などがある場合や、症状が強く生活に支障がある場合は、医療機関への相談をおすすめします。

心因性頻尿を意識するようになったきっかけ

私の場合、きっかけとして今でも覚えている出来事があります。

高校1年生のとき、ライブに行きました。

ライブ前にモンスターエナジーを飲み、会場で同級生にも会いました。

ライブが始まると、だんだんトイレに行きたくなってきました。

でも、途中で席を立つのが嫌で、そのまま我慢することに。

最後の方になると我慢できなくなり、最後の曲のときにトイレへ向かいました。

そのとき、同級生に見られてしまい、後からいじられました。

それ以来、私は「トイレに行けない状況」そのものを強く意識するようになった気がします。

授業中に我慢したり、どうしても無理なときは先生に正直に伝えたり。

気休め程度にナプキンをつけていたこともありました。

特に大変だったのが、大学受験の時期です。

模試ではトイレのことが気になって、問題に集中できない。

共通テストでも同じような状態になり、思うように実力を出せなかったこともありました。

今振り返ると、私の場合は、「今トイレに行けなかったらどうしよう」という不安が、さらに尿意を意識させていたのだと思います。

「周りを気にしない」は、そんなに簡単じゃない

「周りの人は自分のことなんて見ていない」

そう言われても、すぐに気にしなくなるわけではありません。

私自身も、

「それは分かってる。でも、気になるんだよ」

と思っていました。

だから、「気にしないようにする」ことを目標にはしませんでした。

代わりに、「トイレに行っても大丈夫だった」という経験を少しずつ増やしていくことを意識するようになりました。

大学に入ってからは、自分のタイミングでトイレに行けることが増えました。

「行きたくなったら行く」

それを繰り返しているうちに、

「トイレに行っても、誰も何も気にしていない」

ということを、頭だけではなく経験として少しずつ感じられるようになりました。

私が実際にやってよかったこと

1.「行きたくなったら行けばいい」と思う

私にとって一番大きかったのは、これでした。

以前は、「できるだけ我慢しなきゃ」と思っていました。

でも今は、

「行きたくなったら行けばいい」

と思うようにしています。

会議や講習会など、途中で席を立ちづらい場面でも、必要なら申し出る。

「トイレに行きたい」と伝えることを、恥ずかしいことだと思わなくなっただけでも、かなり楽になりました。

2.事前に「トイレに行っても大丈夫」と確認しておく

会議や講習会などで不安があるときは、必要なら事前に近くの人へ、

「途中でトイレに行くかもしれません」

と伝えておきます。

実際に行くかどうかより、

「もし行きたくなっても大丈夫」

と思えることが大切でした。

逃げ道があると思えるだけで、安心感が全然違います。

3.尿意を感じたら、深呼吸して力を抜く

急な尿意が来ると、どうしても焦ります。

「どうしよう」と思うほど、体にも力が入ります。

そんなときは、ゆっくり深呼吸。

肩やお腹の力を抜いて、一度落ち着くようにしています。

私の場合は、それだけでも切迫したような感覚が少し落ち着くことがありました。

4.時間を何度も確認しない

講習会や会議などで尿意を感じると、

「あと何分?」

と時計を見たくなります。

でも、残り時間を何度も確認すると、かえって焦ってしまうことがあります。

そのため、できるだけ時計を何度も見ないようにしています。

大学に入って、自然と少しずつ変わっていった

大学に入ってからは、自分のタイミングでトイレに行けることが増えました。

すると、少しずつトイレのことが気にならなくなっていきました。

完全になくなったわけではありません。

テストでは尿意を感じることもありましたし、実習先へ向かう15分ほどのタクシーの中でトイレに行きたくなることもありました。

特に、同級生や後輩が一緒に乗っていると、

「途中でトイレに行きたいと言いづらい」

という気持ちがありました。

それでも、少しずつ、

「別にトイレに行ったっていい」

と思えるようになりました。

振り返ってみると、私の場合は「これをしたら治った」というより、安心できる経験が少しずつ増えたことで、自然と楽になっていったのだと思います。

社会人になった今でも、急な尿意はある

社会人になった今でも、講習会や会議などで急に尿意を感じることがあります。

だから、完全に気にならなくなったわけではありません。

それでも高校生の頃と違うのは、

「もし行きたくなったら、申し出ればいい」

と思えることです。

以前なら、それだけで大きな不安になっていました。

今は、深呼吸して少し落ち着いて、それでも必要ならトイレに行く。

それでいいと思っています。

「気にしない」ではなく、「気になっても大丈夫」にする

心因性頻尿について調べると、「不安にならないように」「気にしないように」と書かれていることがあります。

でも、悩んでいる側からすると、それが一番難しい。

だから私は、「気にしないこと」を目標にしなくてもいいと思っています。

尿意が気になってもいい。

不安になってもいい。

それでも、

「もしトイレに行きたくなったら、行けばいい」

と思えること。

その安心感を少しずつ増やしていく。

私の場合は、それが一番の改善につながりました。

最後に

高校1年生の頃から始まった私の「トイレに行けないことへの不安」は、大学受験の頃に一番つらくなりました。

でも、大学に入り、自分のタイミングでトイレに行ける環境になったことで、少しずつ変わっていきました。

今でも急に尿意を感じることはあります。

それでも昔ほど怖くありません。

周りの人は、自分が思っているほど自分のことを見ていない。

これは頭で理解するだけでは、なかなか実感できないことだと思います。

だからこそ、無理に「気にしないようにする」のではなく、「トイレに行っても問題なかった」という経験を少しずつ増やしていく。

私にとっては、それが一番大きな変化でした。

もし今、授業やテスト、会議、電車などで「トイレに行けなくなったらどうしよう」と悩んでいる人がいたら、私も同じことで悩んでいました。

そして、今でもたまに気になります。

それでも、少しずつ楽になることはありました。

「もし行きたくなったら、行けばいい。」

今の私を支えているのは、案外それだけです。

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次に会う日まで、少しだけ綺麗になる。

私の彼は船に乗る仕事をしているので、会えない期間がある。

久しぶりに会う日が決まると、せっかくだから少し可愛くして会いたい。

そこで最近やっているのが、髪・香り・メイクを少しずつ変えること。

全部を一気に頑張るのではなく、次に会うまでにひとつずつアップデートしていく。

今回は、実際にやってよかったものをまとめてみる。

彼が好きな短めの髪にしてみた

彼は短い髪が好きらしい。

以前にも短くしたことがあるので、くせ毛の私は、短くするとかなり髪が広がることも分かっていた。

それでも今回は、彼が「短い髪が好き」と言っていたので、また短くすることに。

そのまま切ると扱いにくくなりそうだったので、縮毛矯正も一緒にした。

結果、髪がまとまりやすくなって、短い髪でもスタイリングしやすくなった。

何より、久しぶりに髪型を変えると、それだけでかなり雰囲気が変わる。

「髪型を変えたら、次は髪そのものも綺麗にしたい」と思って、ヘアケアも見直すことにした。

毎日使うものから変えてみようと思って、シャンプーとトリートメントをプリュスオーに。

髪型を変えた後は、毛先やまとまり方も気になるので、普段のケアを見直すにはちょうどいいタイミングだった。

美容って、特別なことを毎日続けるより、毎日のルーティンを少し変えるほうが続けやすい。

シャンプーとトリートメントなら毎日使うので、無理なく取り入れられる。

今回、髪のケア用品の中で特に気に入ったのが、メルトのモイストコンディショニングウォーター。

お風呂上がりの髪に使って、その後いつものヘアケアをするタイプ。

髪を乾かす前のケアに取り入れやすいので、「ヘアケアを増やしたいけど、工程が増えすぎるのは面倒」という人にも使いやすいと思う。

髪型を変えた後って、スタイリングだけでなく「この状態をできるだけ綺麗に保ちたい」という気持ちも出てくる。

そんなタイミングで取り入れたので、個人的にはかなり相性がよかった。

今回のヘアケアの中では、これが一番「変えてよかった」と感じたアイテム。

香りも、会う前に整えておきたい

髪型や髪のケアだけでなく、香りも重要。

彼に会う前は、ボディソープや柔軟剤も見直す。

香水だけで香らせるより、ボディソープや柔軟剤など、普段使うものから自然にいい香りにしておくほうが使いやすい。

そこに香水を少し足すくらい。

近づいたときにふわっと香る程度がちょうどいい。

「なんか今日いい匂いする」と言われたらかなり嬉しいので、会う前の準備では結構気にしているポイント。

メイクは少し変えるだけ

髪型を変えたら、メイクも少し変える。

新しいリップを試したり、アイメイクをいつもより丁寧にしたり。

大幅に変える必要はなくて、普段のメイクにひとつ新しいものを足すくらいでも印象は変わる。

久しぶりに会う日なら、いつもより少し時間をかけるだけでも十分。

「前回とちょっと違う」を作る

毎回、大きなイメチェンをする必要はない。

前回は髪型。

今回は香り。

次はメイク。

そんなふうに、ひとつずつ変えていく。

彼に「いいじゃん」と言ってもらえたらもちろん嬉しい。

今回短い髪にしたのも、彼が好きだと言っていたから。

くせ毛で短くすると大変なのは分かっていたけれど、それでも一度くらい、彼の好きな髪型にしてみたかった。

会うたびに全部を変えるのではなく、少しずつ。

そのくらいなら無理なく続けられるし、次に会うときの楽しみにもなる。

髪型、ヘアケア、香り、メイク。

次に会う日までに、どれかひとつアップデートしてみる。

次に会う日まで、少しだけ綺麗になる。

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社会人4か月目。大学生より忙しいのに、なぜか遊んでいる。

社会人になって4か月。

最近よく思う。

大学生、時間ありすぎ。

大学生の頃は、授業がなければ昼まで寝て、「今日暇だな〜」から友達と遊びに行けた。

今は朝起きて、会社に行って、仕事して、気を使って、帰る。

家に着いた頃にはもう夜。

ご飯を食べて、お風呂に入って、「ちょっとだけスマホ見よ〜」と思ったら、気づけば寝る時間。

私の時間、どこに行った?

まだ4か月目なので、仕事にも全然慣れていない。

一日中ちゃんとしていると、家に帰った瞬間に人間としての電源が切れる。

でも、ある日ふと思った。

「……私、最近遊んでなくない?」

これはまずい。

社会人4か月目。

このまま「仕事→寝る→仕事→寝る」の人間になっていいのか。

よくない。

ということで、遊びをねじ込むことにした。

BBQのあとに、なぜかスポッチャへ

この前、友達とBBQをした。

少し前から「BBQしよう!」と話していて、やっと開催。

お肉を食べて、いっぱい喋って、かなり楽しかった。

普通ならここで解散。

「今日は楽しかったね〜!また遊ぼう!」

で終わる。

……はずだった。

「なんか、まだ遊び足りなくない?」

誰かが言った。

全員ちょっと考えて、

「たしかに。」

となった。

そして、

BBQのあとにスポッチャへ行った。

何をしているんだろう。

もう十分遊んでいる。

お腹もいっぱい。

普通に疲れている。

しかも次の日は仕事。

それでも行く。

スポッチャに着いたら、なぜか元気になる。

ボール投げたり、ゲームしたり、よく分からないことで笑ったり。

途中で、

「私たち明日仕事だよね?」

と確認する。

「うん。」

確認しただけだった。

帰る気はない。

結局、かなり遅くまで遊んだ。

家に帰って、寝る。

翌朝。

眠い。

めちゃくちゃ眠い。

でも、後悔はしていない。

むしろ、

「昨日楽しかったな〜」

と思っている。

たぶん社会人って、こういうことなのかもしれない。

「遊ぶ時間がない」なら、作ればいい

大学生は時間があるから遊べる。

社会人は時間がない。

だからこそ、

遊ぶ予定を先に入れる。

仕事終わりに

「今日、行ける?」

「行ける。」

「明日仕事だけど?」

「まあ、行ける。」

この謎の精神力が、最近ちょっと好きです。

もちろん毎日寝不足は無理。

翌日の私が怒ります。

でも、たまには睡眠より楽しい予定を優先したっていい。

……たぶん。

そして社会人には、お金がある

大学生との違いは、時間だけじゃない。

お金がある。

これは普通に嬉しい。

大学生の頃だったら、

「旅行行きたい!」

「でもちょっと高いな……」

「また今度にしよう」

となっていたことも、働き始めると、

「まあ、行くか!」

ができる。

旅行に行ったり、ちょっと奮発してバーで飲んだり、急にボーリングに行ったり。

自分で働いたお金で遊ぶのって、思っていたより楽しい。

ちょっと大人になった気がする。

まあ、バーで話している内容は大学生の頃と大して変わらない。

人間、そう簡単には成長しないらしい。

仕事も、思っていたより悪くない

そして社会人になって意外だったのが、

「自分がどうなりたいか」を前より考えるようになったこと。

大学生の頃も将来のことは考えていたけど、正直ちょっとぼんやりしていた。

でも実際に働いてみると、

「こういう仕事好きかも」

「こういう人になりたいな」

「こういうことができるようになりたい」

みたいなことが、少しずつ見えてくる。

昨日できなかったことが今日できたり、

「ありがとう」と言ってもらえたり、

自分なりに仕事がうまくできた日には、

「あ、仕事ってちょっと面白いかも。」

と思う。

もちろん、

「今日仕事行きたくない」

と思う日もある。

普通にある。

朝、布団の中で、

「このまま布団として生きていく方法」

を一瞬考える。

でも結局、起きる。

会社に行く。

そして帰りに遊ぶ。

社会人4か月目の結論

社会人になったら、遊べなくなると思っていた。

でも実際は、

遊べる。

ただ、大学生みたいに時間が余っているわけじゃない。

だから、遊びたいなら自分から予定を入れる。

仕事終わりに遊ぶ。

休日は全力で遊ぶ。

旅行にも行く。

ちょっといいお店にも行く。

そして次の日、眠い。

でも、

「昨日楽しかったな」

と思えるなら、それでいい気がする。

時間は減った。

でも、お金は増えた。

仕事は大変。

でも、自分がどうなりたいかは少しずつ見えてきた。

そして何より、

社会人、思っていたより普通に楽しい。

まだ4か月目なので、これからどうなるかは分からない。

半年後には「社会人最高!」と言っているかもしれないし、

「やっぱり大学生に戻りたい」と言っているかもしれない。

ただ、次のBBQのあとに「まだ遊び足りなくない?」と言われたら、

たぶんまた行く。

明日が仕事でも。

遊べるときに遊んだほうが、人生ちょっと面白いので。